はじめ岡藩領、慶長6年肥後熊本藩加藤清正領、寛永9年からは同細川領。 加藤氏が江戸への出府に備えて肥後往還に設けられた5宿場の1つ。清正の本陣となる御茶屋が小高い岡上に設けられ、細川氏もこれを継承。文政8年の町絵図によると、久住の宿場は町並みを2箇所の鉤の手に曲げた形の一筋町である。御茶屋を起点として本町と下町が一筋町をなして、真直ぐに南に向かってやや下り勾配で 113間(約205m)続く。