番匠川下流左岸の現佐伯市街地の一画に位置する。通称上住吉町・戎町・中野町・鍛冶町・浜町の5町で構成。慶長9年頃と推定される佐伯城の築城に際し、城下町の整備が進められ当町が成立したが、成立時期は内町よりも後とされる。 もともと藩の船頭・水主の居住区であったが、商家が発達することにともない城下町に組み入れられたという。「諸商人共居住仕候町屋」とあるように商人町で、内町とともに両町と称された。 文政9年当時、浜野屋・泉屋・讃岐屋・信濃屋・成松屋・塩飽屋・亀屋などの屋号をもつ商家が軒を連ねた。 天和2年、貞享5年の大火で町は全焼、大日寺・潮谷寺も焼失した。享保2年には、127戸焼失、寛政10年には100戸が焼失するなどたびたび大火にあった。