慶長6(1601)年、佐伯藩主となった毛利高政が、城山に鶴見城を築き、番匠川の本流を外堀とし、山裾の低湿地を内堀とし、北側山寄りを武家地、南側海寄りを町人地とした。 長屋門や棟門が武家屋敷の街並みを彩り、落ち着いた歴史的景観を作り出している。