木浦鉱山の開発は、諸説あるが慶長年間(1586〜1615)以前であることは確実である。 岡藩では、採掘は木浦山奉行の管轄下で行われていた。はじめ、民間委託の採掘方式であったが、やがて直轄方式となった。 木浦では町制がしかれ、長門町、竹田町、上町、金具町、梅木町などの町ができ遊廓もおかれ繁栄したが、現在は竹林や畑地になっている。 鉱山経営は、第2次世界大戦後まで続いた。