清正が江戸への参勤交代等に備えて設けた熊本と豊後国鶴崎を結ぶ肥後往還の5宿場の1つで、俗に野津原町とも称された。天保2年当時野津原の宿場には造酒屋2軒、揚酒屋1軒醤油屋1軒、御客屋数軒があった。
現在は、古い建物が少ないのは残念なことですが、町割りや鉤曲りに宿場町の面影が残されている。