細川から小笠原氏時代に城下町が整備されたが、ここは京都のように町の中心、また京都付近からの移住者を象徴して京町といわれた。一部に上級武家屋敷があったが大部分は町屋であった。 奥平氏時代59町の1つで、京町組の町年寄支配下にあった。もともと菓子屋が多かったが、天保頃に酒造業者が3軒あった。また職人町があったが、当町と姫路町に合併された。奥平時代には銀札所・町会所・高札場などがあり、大手門に連なる町部で最重要な所であった。