初期城下町14町のうちの下の8町の1つ。細川氏が中津城下町を営んだ時、大友義統に従って、流浪の家来たちがここで町人となって住んだという説と豊後への街道の起点に依ったという2説がある。 桜町の北の辻より東へ蠣瀬口御門へ通ずる街路沿いの職人や商人の町。