岡藩田原組下津尾村に犬飼と呼ぶ集落があった。当地が藩内有数の町として成立したのは、明暦2(1656)年である。はじめ大野川沿岸にあった岡藩田原組鶴の瀬の船付場が、下流の犬飼に移ったことがその端緒となる。 船付場ができると市街地が形成され、19世紀の初期には、町人67戸を数えるにいたった。 港に近い場所に岡藩の御蔵が置かれて、藩内の年貢米・大豆などの穀類が集められ、大野河口の三佐港へ送られた。 また、臼杵藩でも、三重郷の年貢米をはじめ、タバコなどの諸物資を運送するため、大野川の舟運を利用した。