別府市の北部に位置する。別府八湯の一つ。 江戸期には御越明礬(幕府領)と久留島明礬(久留島藩)の2つに小川を境に分かれ、全国一といわれる明礬の採取地であったのでこの名がある。明治以後、衰退の明礬採取を湯の花採取と温泉旅館開業に切りかえ、現在湯の花採取が盛んになり、茅葺屋根の採取所が建ち並び、噴気と硫気が漂う。 閑静な湯治場として親しまれ、湯治向きの旅館がある。