山陽道の宿駅で、摂津西宮宿から数えて16番目、東の川辺宿より3里、西の七日市宿まで3里、同宿との間には、堀越宿、今市宿の間の宿があり、堀越宿までは約1里10町である。 宝暦から安政期(1751〜81)の最盛期には、町全体で600戸以上となり、本陣、脇本陣を備え、備前・備中路では川辺宿と並んで、休泊利用度の高い宿であった。