北は児島湾に面し、古くより港町として栄え、近世には町並みを形成していた。江戸初期に藩の加子浦に指定されていたが、その反対給付として児島湾のほぼ8割方の漁業権水域をもっていた。 また、寛永3(1706)年に隣村広木村までの入江を開発して八浜新田10町歩ができている。