宝暦年間(1751〜64)近郊の坂本村の本山銅山で硫化鉄鉱が採掘されたのを契機に弁柄を量産した。吹屋弁柄は伊万里焼や九谷焼の赤色顔料等として重用され、銅山とともに二大基幹産業に成長した。 吹屋往来沿道には弁柄窯元、同問屋、酒醤油醸造業者、米問屋、鉄問屋などが軒を並べ町並みを形成している。その経済力を背景に、町屋は入母屋造妻入を主体に、屋根は赤褐色の石州瓦葺、弁柄塗壁、格子や側面焼板腰張りの外壁など、豪壮な構えの建物群が山間に誕生した。