江戸時代に定められた出雲往来の宿駅で、西方伯耆国板井原宿と四十曲峠を間に置いた対向峠下の宿。
寛文期(1661〜73)山陰地方の本陣(板井原宿、根雨宿)が出雲松江藩の援助で、参勤交代のための専用の御茶屋を設けるというかたちで成立したことから、ほぼ同時期に宿場町としての形態を備えるに至ったと考えられる。
元禄2(1689)年の記録によると、往還の宿町の戸数47軒、御茶屋1軒がある。問屋、旅籠、立場茶屋も整備されていた。当地の風物詩である古木の桜並木は「がいせん桜」とよばれ、明治39(1906)年日露戦勝記念に植樹されたと伝える。
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