吉井川河口右岸の平坦地に位置し、南は児島湾に面する。地名の由来は、元禄5年干拓さえた沖新田の九番丁場(工区)に当たることによる。 江戸期には、西大寺の商港としての機能を果たし、また大坂・四国方面へ向かう船の船着場としてもにぎわいを見せた。 明治16年の「山陽吉備の魁」には「九蟠港川口之図」とともに問屋支店名が列記されており、港町としての繁栄がうかがわれる。明治10年遊郭許可地となる。