旭川の土手上を倉敷往来が通る。 岡山藩は、高瀬舟改船の船改番所を河本村に設置した。その後水尾が変化したため、寛文5年(1665)平瀬に移し、享保15年(1730)には平瀬のうちで場所を替え、天明6年(1786)対岸牟佐村へ移っている。 地元の古老に聞くと川湊として栄えたようである。また、「街並みは今のように歯抜けではなくびっしりと続いていた。10年早く来ればよかった。」と教えていただいた。