街並みの名称 | 延助 | 地図 |
所在地 | 真庭市蒜山上徳山 | |
訪問日 | 平成23年4月9日 |
「作州記」に作州二十四宿に数えられた上徳山村延助宿は、野土路越えで出雲往来にもつながる交通の要衝で、物品問屋や商人宿が立ち並び馬持稼ぎが常駐、小割鉄など陰陽物資の継送り、山中煙草などの集散地となり、文化年間には牛馬市も立っている。 延助宿は、藤森宿(現湯原町)へ1里20町、伯耆国江尾宿(日野郡江府町)へ3里11町、同御机へ2里8町、当地で野土路だめを越え、新庄村を経て伯耆国根雨宿に至る道が分岐する。大山往来に沿って町並みを形成し、郷原とともに大山詣の旅宿、春・夏・秋の大山牛馬市の博労宿として栄えた。 備前や上方の博労たちは多くの追子を連れ、湯原で温泉に入り、延助を通過し、下蚊屋(さがりかや)、御机の博労宿に泊まり、翌日早朝の牛馬市に臨んだ、帰路は多くの牛馬を買って延助・郷原に宿泊、軒下に今も残る穴あきの牛つなぎ石にびっしりと牛が並ぶ賑わいぶりであった。 文政2(1,819)年には、茶屋(草履、草鞋、そばきり、煮売り、小肴)、駄賃負、馬持稼、小売(小間物、紙、煙草)、紺屋、酒造、木挽など9軒の小商い、兼業で馬持稼をする者5人がいた。 荷物問屋があり、山陰の特産物(銑、絣木綿)や蒜山地方特産の煙草を岡山城下へ向けて湯本村の問屋へ継立てた。 |
延助の街並み |