役場を宮地の新町に設置。かつて当村には鰤市が立ち、周辺から人々が集まった。 中世には英賀荘があり、山科家の所領であった。 関ヶ原の戦後幕府領となり、その後松山藩領、幕府笠岡陣屋の支配、一部が新見藩領、津山藩領などと変遷したが、延享元年松山から伊勢亀山に移封となった石川氏は、上房・阿賀両郡のうちに1万石を領し、下中津村に陣屋を置いた。