街並みの名称 | 郷原 | 地図 |
所在地 | 真庭市郷原 | |
訪問日 | 平成28年5月15日 |
正保4(1647)年以降、現川上村地域では郷原を中心に湯船村、上福田村の明連などに木地師がいた。郷原の木地師は宝永〜元文期(1704〜41)のピーク時に40〜50軒に上ったが、寛政期(1789〜1801)に、10軒前後に激減、代わって塗師屋が増え、寛政11年8軒、文政13年にはそのほかに下職24軒となった。 慶応元(1865)年には、木地師37人(うち他所者9)で、木地生産年間約24丸(1丸は蓋付き200人前後)、漆器売上金約3千400両という。 郷原には大山往来の湯本藤森経由で現真庭郡北部の木地が集まり、漆は近隣の山中のもの、備中漆、因幡佐治谷産に依存、販路はおもに山陰地方で、伯耆国江尾から出雲地方へも送られ、郷原輪島と称された。 |
郷原集落の入口にある茅部神社鳥居 |
郷原の街並み |
郷原の街並み |
茅部神社 |