呼松港と国道の間に民家が密集している。 「岡山藩領手鑑」によると高91石余、直高171石余で、池田和泉の給地、田2町余、畑8町3反余、樋1、井戸38、石橋3、育麦蔵1、家数136、人数1,537、寺1軒、手13、酒屋1軒、船大工・桶屋画、船151、ほかに肥船16、漁業を渡世とし、「備前記」には、ボラ網、サワラ網、アミ、イナがみえ、冬は流モチで鴨をとっていた。 文政13(1830)年頃には、西は芸州、東は大坂までの漁稼に出ている。