「金毘羅参詣名所図会」には中国西国往返の船舶港で、由加詣、金毘羅詣相手の船宿が立並び、木綿糸の組紐、真田織の商家で賑わっている様子が描かれる。讃州丸亀へは海上6里余、晩方に出帆し明方に着いた。 幕末には小倉織、真田織の盛行をみ、村内に有力織本2軒があり、大坂売で年商4千両を上げた愛治・定四郎をはじめ多数の有力商人が出た。弘化3(1846)年には藩専売制に関連して小倉座が設置され、小倉帯地、小倉袴地、馬乗、着尺を購入しにきた他国船で賑わった。