元歴元(1184)年12月7日、佐々木盛綱が浅瀬を騎馬で渡り、対岸の平氏軍に先陣をかけた藤戸合戦が行われた。この時に盛綱に浅瀬を教えた浦の男の悲劇を扱った謡曲「藤戸」でも知られる。 近世には藤戸寺の門前町、倉敷川の湊、金毘羅往来沿いの要地として賑わった。幕末期の金毘羅参詣の盛行とともに往来筋での居商いが行われ、天保4(1843)年には在方当用・旅人当用の品物や御法31色を扱う商人22軒、実綿、繰綿、雑穀、肥物を販売する商人14軒があった。