古くから漁港として栄えた地域であるが、現在は笠岡湾干拓の進展により沖合いが干陸したために漁港としての機能は失われている。 元和5(1619)年より元禄11年まで、備後福山藩領、のち幕府領で幕末に至ったと考えられる。 福山藩領時代には加子浦に指定され、笠岡湊の番所も置かれていた。