山陽道の宿駅で、大坂から数えて20番目、備中5宿では西端に位置する。東の七日市宿より1里12町、西の備後神辺宿まで1里27町、古くは石見銀山御用の引継宿であった。 享和2(1802)年当地を通った菱屋平七の「筑紫紀行」によれば、人家は200軒ほど、商家、茶屋、宿屋があり、平七は宿の東外れの川を徒渡りしている。