元文5年の村絵図によれば、家数269からなる町筋があり、江戸初期に本町が成立し、次いで中町・新町・下町と小田川沿いに町筋ができていったが安政3年の大火で同町筋は全焼した。 新町の成立は、江戸期にあり比較的早く町として成立していたと思われる。