八塔寺山南麓に八塔寺の集落があり、その中心部に平安期以降西の高野山と呼ばれた八塔寺があり、地名・山名もこれに由来する。 昭和30年代から人口流出が続いていたが、八塔寺門前地区18戸の住民の総意で自然を残した観光開発が計画され、約50haが「ふるさと村」の指定を受け昭和50年八塔寺周辺の33.4haが自然保護地域に指定された。