地名は、もと江の蔵といったが、溝口氏入封後米蔵と改め、さらに米倉と改称されたという。 延宝年間天神山のふもとにあった山田村をはじめ、20余の点在する集落を藩命によって当村に集住させたという。米倉組の大庄屋斎藤加兵衛が居住した。