享保2年町並みに扱われるようになり、同6年から毎年6月18〜24日に馬市が開催された。また、宝暦2年六斎市の開設が認められた。 文政2年の家数157・人数1,184。江戸後期には鎌鍛冶・菅笠製造・果樹生産が特産として現れてくる。 旅芸能「角兵衛獅子」発祥の地でもあり、天明年間には75軒が従事し、各地をまわり、6月24〜25日の祭礼には必ず全村が帰村することになっていた。