西川流域の中心村として、宝永年間に代官所が設置され、北は真田、南は米納津辺までの郷村支配の中心地となった。郷倉も西川沿いに置かれ、舟運により廻米などの津出しを行っていた。
北国街道の脇街道沿いに位置し、六斎市も発展し、近郷村々との往来が多かった。明和6年には巻と漆山で馬市が開かれている。