街並みの名称 | 塩谷 | 地図 |
所在地 | 村上市塩谷 | |
訪問日 | 平成30年10月1日 |
「塩屋(塩谷)」の名は、鎌倉時代の文書に登場。建長7年(1256)、小泉荘牛屋の色部氏が荒河保地頭荒河氏の塩屋を打ち壊したことが記されている。後、戦国時代には塩屋の地名が記録。 江戸期に入ると村上藩領となり、新潟から村上に至る通称「浜街道」(あるいは出羽街道浜通り)と呼ばれた街道の宿場として、そして水運の要衝として発展。また、荒川河口付近には村上藩の湊が開かれ番所が置かれた。 江戸中期以降は水運が内水面から海上に移り、また、荒川の水害等のため、享保10年(1726)には現在の地に移転。その後北前船の交易などで栄え、明治5年には戸数154、人口717人の記録がある。塩谷は、北前船が立ち寄る港として荒川の対岸にある海老江・桃崎浜と共に荒川三湊と呼ばれていた。交易により、酒造業が成立、大工、船大工、桶屋、船問屋の業が盛んとなり浜街道沿いの宿場町として栄えた。 塩谷では、湊町として栄えていた頃の伝統的な町家が、現在でも多く残っている。塩谷の町家は、その外観からだけでなく、内部の様子からも歴史的に重要で価値ある建物であることが伺いしれる。塩谷は通りに面して屋根の形が妻入り形状であることが特徴である。 |
妻入りの続く塩谷の街並み |
元菓子屋 | 稲荷山からの塩屋の街並み |
野沢食品工業株式会社 | 野沢家住宅 |
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マルマス蔵 |