地名の由来は、太古この地を開いた神が家来を連れて来た時、背の方から波が舟を岸に運んでくれたことにちなむという。三面川の河口にあることから湊として栄え、村上城下の外港の役割を果たした。湊近くは
小六町という遊女町もあり、出入りする船でにぎわっていた。享保3年瀬波町明細帳によれば、船数は300石積1、100石積3、80〜40石積32とあり、廻船業を営む者も多かった。