集落は、旧街道(出羽街道)の両側に軒をならべており、宿場町として栄えた。古い時代から漆が産出されていたとみられ、「延喜式」には漆山神社(葡萄村)が記されている。村上の商人では、漆や漆の実を扱って産をなしたものが多い。