小名部へ至る出羽街道の宿駅である。 農間には、宿場勤め、塩木伐りを行う。とくに塩木伐りは、前借りや質入れの対象になるほど重要な収入源であった。 村上藩領のときは、口留番所が置かれ、小名部への旅人や物資の出入監視に当たった。 家々には屋号が掲げられている。地元の人の話では、昔はもっと家が多くしかもほとんどは「旅籠」であったという。往時の宿場町の景観を維持するため修景が施されている。