旧出羽街道の宿場町として栄えた。また日本海に通じる勝木方面への分岐点として物資の集積地として栄えた。 芭蕉は奥の細道で、北中(旧中村宿)に宿をとり、きれいな清水に感動し、「さわらねば、汲まれる月の清水かな」という句を残して旅立ったそうです。