江戸中期までは小泊村と称した。天和2年検地帳によれば、屋敷数68。平地が少なく田畑も少ないため漁業が盛んで、延宝8年年貢皆済目録によれば、舟役銀として上銀396匁を納めている。
第3種漁港の能生漁港があり、山地が海岸にせまり、集落は国道と県道間の傾斜地上にあり、1〜6区に分かれる。水揚げの大半がベニズワイガニで、集落東方の国道沿いに直売店が集中し、観光客でにぎわう。