地名の由来は、昔はここより6町ほど東にあって島村と称し、その頃は新発田街道も島村から鹿瀬村の諸村へ出たが、いつの頃からか今の街道となり、集落をここに移して新谷村と名付けたという。
新発田街道の宿駅で、南の行地村駅から26町余、北の綱木村駅へ1里。農業、炭焼き、物資の運送に従事した。