奈良盆地の西南部に位置し、全域が平地で東部を葛城川が、中央部を高田川が北流する。難波と伊勢を結ぶ古道横大路が東西に走り、穴虫越との会合地高田村が近世以降商業都市として栄える。 江戸時代初期新庄藩(桑山一晴)領であったが、天和2(1682)年、改易に及び幕府領に編入され明治維新に及んだ。
本町通り、市町通りなど商店街が多く、古くから商都高田の中心として栄えた。浄土真宗本願寺派専立寺は、大和御坊の一つで、高田御坊と称する。江戸時代には、商工の町、寺内町として発展し、付近の経済的中心地となり、近代の商都高田の母体となった。寺門表通り、寺門裏通りは、寺内町のたたずまいを残している。