地名の由来は、江戸期に下ツ道(中街道)の町場として栄えた二階堂町の名による。同町は街道の東側の上ノ庄村と西側の菅田村の立合いの出垣内で、街村を形成し、中街道が吉野や高野山への往来でにぎわうようになると町場として繁栄した。その名の由来は、十市郡香具山の北辺から移建した二階建の堂があったことにちなむという。 元禄6年には市がひらかれたと伝え、木賃宿・飯屋ほか各種の商店があり、明治初年まではかなり栄えた町であった。