吉野山中は、薬草が豊富で薬園が設けられ、山間では、大棗、当帰などが栽培された。 薬用植物を加工精製する「薬園」というものが下市のあちこちに出来てき、その後、集荷販売を営む問屋が当然増えてきた。問屋橋周辺には、熊伍、池田屋、唐戸屋、岩井屋、菊佐、松尾などという薬種商がたくさん出来て、ずいぶんと栄えたと伝えられている。