下市は市場町として発展し、当地の俗謡に「山家なれども下市は都、大坂商人の津でござる」と謡われた下市は手形流通創始の地と言われている。 吉野郡では、旧来和紙の生産が行われ、当地の丹生紙は東吉野の国栖紙とともに有名であった。江戸期に入って紙株88株と称している。 漆の栽培は、11〜12世紀から盛んに行われたといわれ、江戸期では、徴税の対象品となった。 吉野山中は、薬草が豊富で薬園が設けられ、山間では、大棗、当帰などが栽培された。 天明8(1788)年の記録によれば、家数1,088軒、人数は、男1,644人、女1,542人である。かつては、大坂、堺、和歌山より商人が来村殷賑を極めた。