はじめ初瀬街道と多武峰街道が交差する付近堀の内に人家があり、中央の丁字路は市場の所在地で、のちこの地の宿場町の中心となることがわかる。津幡の高札が同地に立てられたので札の辻という。
宿場町の要素が加わるにつれて旅籠屋や茶屋・煮物屋などのほか遊郭まがいの施設も増えた。