古くは「おおみわ」とも称し、大神・美和・弥和・三和・大三輪・意富美和とも書かれた。大和川(初瀬川)上流右岸の三輪山麓に位置する。
奈良から初瀬・伊勢への上街道沿いに発達、中世の三輪市にはじまる市場町と大神神社などの門前市の性格を持ち、人馬の継立でもあるが、宿駅ではなかった。問屋のほか、茶屋や土産品販売が多く、特に素麺の生産は盛んで三輪素麺の名で知られた。