慶長6年新庄(布施)藩領、天和2年からは幕府領となった。慶長6年和歌山城主桑山重晴の嫡孫桑山一晴が大和布施郷に入部し、当村に陣屋を置き、町割を実施した。しかし、天和2年桑山一尹の改易で殷賑さは失われた。
明治2年の職業の状況は、油稼7・質屋株14・三商売(古手・古鉄・古道具)56・木綿織屋織40・旅籠屋?煮売10・魚屋8など様々な業種が書き上げられており、商工業中心の在郷町であった。