中世から佐賀津などとしてみえる交通の要衝で島首宗氏の居館が置かれた。 元禄16年の対州郷村帳では、三根郡佐賀村として、田畑木庭物成79石余、家数51、社1、寺2、人数208、公役人29、肝入1、猟師23、牛31、船6とある。 応永15年宗氏7代貞茂が当地に居館を構え、貞盛、成職の三代を経て応仁2(1468)年貞国が府中(厳原)に移るまで対馬の政治的中心地であった。