泉村を公称したのは、文禄・慶長の役で、当地に来て、近海で漁を行い、諸将に魚を献じていた和泉国佐野村の漁師がやがて浦に定住するようになり、故郷の地名を用いるようになったためという。 延宝年間から泉浦を据浦とする捕鯨があり、記録も残されている。