正徳5(1715)年、当地の原田三郎右衛門が薩摩から甘藷の種を持ち帰り、試植して失敗するが、5度も薩摩に渡って植法を習い種藷を移植し、ようやく成功し対馬藩に届出た。 島内ではたちまち植付が広まり、大いに食糧の補足になり、孝行芋と称された。