江戸時代、伊奈の枝浦の茂江は、勝本の鯨組が納屋を構え、捕鯨を行っていた。全盛期は天保から弘化(1830年から1848年)で、南の唐崎から北西の伊奈崎で回遊してくる鯨を追った。 また、伊奈は、対馬の窓口として知られていたため、フビライの使者や朝鮮通信使の記録にも出てくる。