厳原は対馬藩の城下町にふさわしい貫禄の屋敷塀が残っている。 この石垣塀は、江戸時代初期から築かれ、延宝6(1678)年桟原館ができた頃から数を増し、文化8(1811)年の朝鮮通信使の来聘にそなえ、さらに美しく整備された。