江戸期は島原城下の1町であった。島原城の南に位置し、南北150間・幅2間半の道を挟む横町を形成していた。
街並みの西側上流にある白土湖は寛政4年の眉山崩壊により自噴した陥没湖で、その湧水処理のため音無川が開削され、同川は東流したのち有明海に注いでいる。