佐世保湾に臨む古来からの湊津で、江戸時代は大村領の外海に属す。 大村郷村記によれば、面高浦は、入15町ほど、浦が中央の深さ18尋、船着場辺りの深さ7尋で深浦なので、いずれの風にも船繋ぎに都合よく、横目役場、庄屋及び人家150軒ほどがあり、浦かめ105軒で、水主屋敷6反8畝余があった。