大正期の町並みといえば、1丁目(船津)の船着場に沿う家並みぐらいで、長崎の交通はこの戸町港かあの汽船とサンパンと呼ぶ手漕ぎ舟か人力車であった。 明治初年に始まる戸町遊郭は戸町港にあり漁船員を客とし、明治末年〜大正年間が全盛であった。昭和14年頃も、2・3階建の遊郭が軒を連ねていたが、第二次大戦で廃業した。